- リンダ・ハザードは医学の正規の学位を持たないまま飢餓療法を提唱し、薄いスープとオレンジだけの食事と数時間に及ぶ浣腸で患者を治療すると称した
- ワシントン州オララの療養所ウィルダネス・ハイツ(地元住民は飢餓の丘と呼んだ)で少なくとも15人が死亡。衰弱した患者の財産を詐取・窃盗した
- 1911年に英国人令嬢クレア・ウィリアムソンの死亡で故殺罪で有罪。わずか2年で仮釈放された後も断食療法を続け、1938年に自らの断食療法で死亡した
あなたは飢えているのではない。浄化されているのです。痛みは治療が効いている証拠です――。リンダ・ハザードは患者にそう語りかけました。体重が50ポンド(約23kg)を下回るまで痩せ衰えた患者が苦しみ叫んでも、それは回復の兆しだと説明したのです。そして患者が最終的に死亡すると、自ら検死を行い、死因を飢餓ではなく肝硬変と記録しました。
この記事では、科学的根拠のない飢餓療法で少なくとも15人の命を奪い、衰弱した患者の財産まで奪い取った20世紀初頭最悪の医療詐欺を解説します。
ハザードの経歴と飢餓療法の確立
リンダ・ハザードとは、1867年にミネソタ州カーバーで生まれたアメリカの偽医療従事者であり、飢餓ドクターの異名で知られる人物です。
ハザードは正規の医学学位を持っていませんでした。整骨療法の看護師としてわずかな訓練を受けた程度でしたが、代替医療を祖父条項で認めるワシントン州の抜け穴を利用して医師免許を取得し、ドクターを自称しました。
ハザードの治療法は、エドワード・フッカー・デューイ医師の断食療法に影響を受けたものでした。過食があらゆる病気の原因であり、断食が体内の毒素を排出し、不均衡を正し、自然治癒力を回復させるという理論です。1908年には自著Fasting for the Cure of Disease(病気治療のための断食)を出版しています。
1906年、2番目の夫サミュエル・ハザードとともにシアトル近郊のオララに移住し、ウィルダネス・ハイツと名付けた療養所を開設しました。地元住民はこの施設を飢餓の丘(Starvation Heights)と呼びました。道端でガリガリに痩せた患者が食べ物を求めてよろめき歩く姿が、たびたび目撃されていたからです。
治療の実態と犠牲者たち
ハザードの治療は、薄いトマトスープとオレンジだけの食事を数週間にわたって続けさせるというものでした。
これに加えて、数時間に及ぶ浣腸と、殴打と形容されるほど激しいマッサージが日課として行われました。療養所では患者は外界から隔離され、家族との連絡も制限されます。数週間で骸骨のように痩せ衰えた患者は、やがて正常な判断力を失い、ハザードの指示に従順に従うようになりました。
1908年から1913年の間に、少なくとも15人がハザードの治療中に死亡しています。ハザードが自ら作成した死亡診断書では、死因は飢餓以外のあらゆる病名が記載されていました。しかし他の医師が作成した診断書では、ほぼ全てが飢餓を死因としています。
さらにハザード夫妻は、衰弱した患者の財産を詐取・窃盗していました。委任状を取得して遺産を管理したり、死亡した患者のダイヤモンドの指輪を抜き取ったり、金歯を抜いて歯科医に売却するなどの行為が後の裁判で明らかになっています。

ハザードの手口で最も恐ろしいのは、患者が自発的に治療を受けていたという点です。シアトルの上流社会の人々がこぞって彼女の元を訪れ、断食療法を受けました。衛生局長は、患者は全員成人であり自発的に治療を受けているため介入できないと述べています。自分の意思で科学的根拠のない治療を選ぶリスクは、現代の代替医療にも通じる普遍的な問題です。
ウィリアムソン姉妹事件と有罪判決
ハザードの犯罪が白日の下に晒されたのは、裕福な英国人姉妹クレアとドロシア・ウィリアムソンが犠牲になったことがきっかけでした。
1911年、2人の姉妹は休暇を兼ねてハザードの療養所を訪れ、断食療法を受け始めました。しかし治療開始から1ヶ月もしないうちに、2人は痩せ衰えた影のような姿になり、痛みに呻き声を上げていたとされています。クレアは体重が50ポンド(約23kg)以下まで落ち、1911年5月18日に死亡しました。
ハザードはクレアの死後すぐに、妹ドロシアの法的後見人となることを申請し、ウィリアムソン家の全財産を支配下に置こうとしました。しかしオーストラリアから電報を受け取った姉妹の幼少期からの乳母マーガレット・コンウェイが5週間後に到着し、体重60ポンド(約27kg)まで衰弱したドロシアの状態を目撃して救出に動きます。
姉妹のポートランドの叔父が身代金ともいえる金額をハザードに支払ってようやくドロシアは解放されました。タコマの英国副領事ルシアン・アガシーが激怒し、シアトル当局に起訴を要求。シアトルが予算不足を理由に躊躇すると、ドロシア自身が裁判費用を負担すると申し出ました。
1911年8月にハザードは第一級殺人の容疑で逮捕されました。1912年1月に始まった裁判では100人以上の証人と15人の医師が証言し、陪審は故殺罪で有罪の評決を下しました。懲役2年から20年の重労働刑が言い渡されています。当時の報道は、ハザードが男性であれば殺人罪の評決が出ていただろうと推測しました。
出所後の活動と皮肉な最期
ハザードはわずか2年で仮釈放されました。
1916年にはニュージーランドへの移住を条件にアーネスト・リスター知事から完全な恩赦を受けています。ニュージーランドでも医師・栄養士・整骨師として活動し、患者が死亡し遺産がハザード夫妻に渡るという同じパターンが繰り返されましたが、無免許医療で有罪となり罰金5ポンドを科されています。
十分な資金を得たハザードは1919年頃にオララに帰還し、夢だった本格的な療養所を建設しました。ワシントン州の医師免許はすでに取り消されていたため、施設を健康学校と名づけて法律の網をかいくぐりました。地下には検死室まで備えたこの施設で、ハザードは断食療法を15年以上にわたり続けています。
1935年に療養所が火災で焼失した後、1938年6月24日にリンダ・ハザードは70歳で死亡しました。死因は、自らに施した断食療法による衰弱でした。彼女は著書の中でこう書いていました。意識のある人間が断食で死亡したことがあるかどうかは疑わしい――。その言葉は、皮肉にも自らの死によって否定されることになりました。
まとめ
- ハザードは正規の医学学位なく飢餓療法を提唱し、少なくとも15人を死亡させた。衰弱した患者の財産も詐取していた
- 英国人令嬢クレア・ウィリアムソンの死亡で故殺罪で有罪。しかし2年で仮釈放され、その後も同様の活動を続けた
- 科学的根拠のない治療法は、提唱者の権威や確信によって危険性が増幅される。代替医療を選択する際は、正規の医師のセカンドオピニオンを必ず受けるべきだ
よくある質問
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Qなぜハザードは医師免許を持っていたのですか?
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A
当時のワシントン州には、代替医療の実践者を正規の医師と区別せずに免許を与える祖父条項(グランドファーザー条項)が存在していました。ハザードはこの抜け穴を利用して、整骨療法の看護師としての最小限の訓練だけで医師免許を取得しています。有罪判決後にこの免許は取り消されましたが、帰国後は健康学校と名づけて法的規制を回避しました。
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Qなぜ患者は治療を途中でやめなかったのですか?
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A
療養所では患者は隔離され、家族との連絡も制限されていました。飢餓状態が続くと判断力が低下し、ハザードの指示に従順になるという悪循環が生じます。また苦痛は治療が効いている証拠だと説明されたため、患者自身が治療の継続を望む心理状態に追い込まれていました。脱走を試みた患者もいましたが、衰弱がひどく成功できないケースが多かったとされています。
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Qこの事件を題材にした作品はありますか?
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A
ジャーナリストのグレッグ・オルセンが1997年に出版したノンフィクションStarvation Heights(飢餓の丘)が、ウィリアムソン姉妹の事件を中心にハザードの犯罪を詳細に記録した代表的な著作です。この本は事件の全容を明らかにした決定版として知られています。
【出典】参考URL
- Wikipedia:Linda Hazzard:経歴、治療法、裁判と判決、死亡
- HistoryLink.org:ワシントン州の歴史における事件の詳細記録
- Atlas Obscura:飢餓ドクターの手口とウィリアムソン姉妹事件
- Science-Based Medicine:代替医療の観点からの事件分析
- ワシントン州務長官:公的アーカイブによる事件解説


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