- アルゼンチンの詐欺師ヴァルフィエルノは、1911年のモナ・リザ盗難を裏で主導したとされる伝説的な人物である
- 盗難の前に贋作師に6枚の精巧な複製を作らせ、盗難後にアメリカの富豪コレクターたちに本物として売りさばいた。本物は最初から必要なかった
- この話の唯一の出典は1932年のジャーナリストの記事であり、ヴァルフィエルノの実在自体が疑われている。100年以上経った現在も6枚の複製は1枚も発見されていない
本物を盗む必要はない。消えてくれさえすればいい――。エドゥアルド・デ・ヴァルフィエルノのモナ・リザ詐欺は、この逆転の発想から始まったとされています。世界で最も有名な絵画を盗ませ、偽物を売り、本物には二度と触れない。もしこれが事実であれば、史上最も天才的な芸術詐欺です。
しかしこの物語には重大な問題があります。ヴァルフィエルノという人物が本当に存在したのかすら確かではないのです。この記事では、事実と伝説が入り混じるモナ・リザ盗難の裏話を解説します。
モナ・リザ盗難事件の概要
1911年8月21日、パリのルーヴル美術館からレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザが忽然と姿を消しました。美術史上最も衝撃的な事件のひとつです。
翌朝、模写のために訪れた画家ルイ・ベルーが、サロン・カレの壁にモナ・リザがないことに気づきました。当初は撮影のために移動されたと考えられましたが、数時間後に盗難が確認されます。前日が休館日だったため、いつ盗まれたのか正確には分かりませんでした。
捜査は難航し、モナ・リザは2年間にわたって行方不明となります。1913年、ルーヴルの元従業員であるイタリア人ヴィンチェンツォ・ペルッジャがフィレンツェで絵画を売ろうとしたところを逮捕されました。ペルッジャはモナ・リザをコートの下に隠して美術館から持ち出しており、犯行動機はナポレオンに奪われた作品をイタリアに返すという愛国心だったと主張しています。
ヴァルフィエルノの伝説的な計画
1932年、ジャーナリストのカール・デッカーがサタデー・イブニング・ポスト紙に衝撃的な記事を発表しました。モナ・リザ盗難の真の黒幕は、アルゼンチン出身の侯爵を自称する詐欺師エドゥアルド・デ・ヴァルフィエルノだったというのです。
デッカーの記事によれば、1914年1月にカサブランカのバーで旧知のヴァルフィエルノと再会した際、ヴァルフィエルノ自身がモナ・リザ盗難の計画を告白したとされています。ヴァルフィエルノはデッカーに、自分の死後まで記事の公開を待つよう求めたと言います。
ヴァルフィエルノの計画は驚くほど巧妙でした。まず、フランスの美術修復師で贋作師のイヴ・ショードロンに、モナ・リザの精巧な複製を6枚作らせます。複製は盗難の前にニューヨークの税関を1枚ずつ通過させ、アメリカに持ち込みました。盗難前であれば、モナ・リザの複製を持ち込んでも違法ではありません。
次にヴァルフィエルノは、アメリカの裕福なコレクター6人にそれぞれ接触し、盗んだモナ・リザを購入する意思があるか打診しました。全員が同意したとされています。
そしてペルッジャを雇い、ルーヴルから本物を盗ませました。モナ・リザ盗難のニュースが世界中で報じられると、ヴァルフィエルノは6人のコレクターにそれぞれ複製を届けました。全員が、盗難のニュースを見て自分が購入した絵画こそ本物だと信じたのです。
ヴァルフィエルノにとって、本物のモナ・リザは最初から必要ありませんでした。必要だったのは、本物がルーヴルから消えるという事実だけです。だからこそ、盗難の実行後にペルッジャに二度と連絡を取ることはなかったとされています。

この計画が天才的なのは、本物を盗む必要すらないという逆転の発想です。ヴァルフィエルノが売ったのは絵画ではなく、盗難というニュースの信頼性でした。買い手は自分だけが秘密を知っていると信じ込み、偽物を本物として金庫にしまい込む。被害者が名乗り出ることは永遠にありません。なぜなら、盗品を購入したことを公にするわけにはいかないからです。
実在を疑う声と未解決の謎
しかしこの物語には深刻な信頼性の問題があります。ヴァルフィエルノの存在を示す情報源は、デッカーの1932年の記事ただひとつだからです。
デッカーは事実の脚色で知られたジャーナリストであり、記事中にはモナ・リザの大きさや重さ、描かれた木の種類など、複数の事実誤認が含まれていました。さらに100年以上が経過した現在に至るまで、6枚の複製は1枚も発見されていません。
アルゼンチンや国際的なアーカイブにも、ヴァルフィエルノの出生・生活・死亡を示す記録は確認されておらず、贋作師とされるイヴ・ショードロンについても、この記事以外に独立した記録は存在しません。ペルッジャ自身も裁判でヴァルフィエルノとの関係を否定し、単独犯行であると一貫して主張しました。
多くの美術史家や犯罪学者は、ペルッジャが愛国心から単独で犯行に及んだ可能性が高いと考えています。ヴァルフィエルノの物語は、犯罪の天才に惹かれる大衆の心理が生み出した伝説なのかもしれません。
まとめ
- ヴァルフィエルノは6枚の偽のモナ・リザを事前に用意し、盗難後にそれぞれ本物として富豪に売ったとされる。本物には最初から触れない天才的な計画だった
- しかしこの話の唯一の出典は1932年の記事であり、ヴァルフィエルノの実在自体に深刻な疑問が残る。6枚の複製も1枚も見つかっていない
- 真偽はともかく、盗品を買うコレクターは決して被害を公にできないという心理を利用した構造は、現代の詐欺にも通じる普遍的な教訓を含んでいる
よくある質問
-
Qモナ・リザは無事に戻ったのですか?
-
A
1913年にフィレンツェでペルッジャが逮捕され、モナ・リザは無事にルーヴルに返還されました。2年間にわたる盗難騒動はむしろモナ・リザの知名度を飛躍的に高め、世界で最も有名な絵画としての地位を確立する結果となっています。
-
Qヴァルフィエルノの手口を題材にした作品はありますか?
-
A
多数の作品でヴァルフィエルノの手口が引用されています。映画Inception(2010年)ではHotel Valfiernoが登場し、TVドラマWhite Collarでも同じ手口のエピソードがあります。アルゼンチンの作家マルティン・カパロスは2004年に小説Valfiernoを出版しています。また映画St Trinian’s(2007年)でもこの手口をオマージュしたシーンが描かれています。
-
Qペルッジャはどうなりましたか?
-
A
ペルッジャは1913年にフィレンツェの美術商にモナ・リザを売ろうとして逮捕されました。裁判では愛国心に基づく犯行だと主張し、イタリアでは英雄視する声もありました。比較的軽い刑(1年と15日の禁固刑)が言い渡され、実際に服役したのは約7ヶ月でした。ヴァルフィエルノとの関係は一貫して否定しています。
【出典】参考URL
- Wikipedia:Eduardo de Valfierno:ヴァルフィエルノの伝説、実在への疑問
- The Saturday Evening Post:モナ・リザ盗難の裏にいた首謀者(デッカーの原記事の解説)
- Mental Itch:ヴァルフィエルノの計画と歴史的評価
- James Twining:モナ・リザ盗難事件の全容


コメント