- ドイツの決済大手ワイヤーカードは19億ユーロ(約2,300億円)の架空預金を計上し、DAX指数採用企業として史上初の破綻に至った
- 英紙フィナンシャル・タイムズが不正を報じたにもかかわらず、ドイツの規制当局は記者の方を捜査するという逆対応を取った
- 元COOヤン・マルサレクは国際指名手配のまま逃亡中であり、フィンテック業界の監視体制の脆弱性が世界に露呈した
銀行口座に19億ユーロ入っていると言い張る。でも実際には1円も入っていない――。これほど大胆な嘘が、なぜドイツの最先端フィンテック企業で通用したのでしょうか。
2020年に発覚したワイヤーカード事件は、ドイツ戦後史上最大の企業不正とも呼ばれています。DAX30(ドイツの主要株価指数)に採用されるほどの優良企業が、実はその根幹が架空だったという衝撃は、ドイツ社会を揺るがしました。
この記事では、ワイヤーカードがどのように架空の利益を作り上げたのか、なぜ規制当局や監査法人がそれを見抜けなかったのか、そして私たちがフィンテック企業の決算をどう見るべきかを解説します。
ワイヤーカードとは?ドイツが誇ったフィンテックの旗手
ワイヤーカードとは、1999年にドイツのミュンヘン近郊で設立された電子決済サービス企業で、クレジットカード決済の処理代行を主力事業としていました。
設立当初はオンラインポルノやギャンブルサイトの決済処理など、大手銀行が敬遠する分野を引き受けることで成長しました。その後は合法的な電子商取引の決済処理へと事業を拡大し、2018年にはコメルツ銀行に代わってDAX30に採用されるまでに成長。時価総額は一時240億ユーロを超え、ドイツ銀行を上回りました。
CEOのマルクス・ブラウンはオーストリア出身のIT起業家で、ドイツのテック業界では「ジョブズのような存在」と評されることもありました。しかしその実態は、架空の売上で膨れ上がった砂上の城だったのです。
架空預金19億ユーロはどう作られたのか?
ワイヤーカードの粉飾の核心は、第三者の決済代行業者(サードパーティ・アクワイアラ、以下TPA)を介した架空取引で売上を水増しし、その利益をフィリピンの銀行に預けていると偽っていたことです。
TPA(第三者決済代行業者)を使ったカラクリ
ワイヤーカードの決済事業には2つのルートがありました。自社で直接処理する取引と、TPAと呼ばれる外部パートナーを通じて処理する取引です。問題はこのTPAルートにありました。
フィリピン、シンガポール、ドバイなどのTPAを通じた取引は、ワイヤーカードの帳簿上では巨額の売上として計上されていましたが、実際にはその多くが架空でした。TPAが処理したとされる取引の代金は、フィリピンの信託口座に預けられていると説明されていましたが、その口座にお金は存在しませんでした。
監査法人EYはなぜ見抜けなかったのか
ワイヤーカードの監査は世界四大監査法人のひとつであるEY(アーンスト・アンド・ヤング)が担当していました。EYは複数年にわたって適正意見を出し続けましたが、フィリピンの銀行口座の残高を直接確認していなかったことが後に批判されています。
EYは銀行からの残高確認書に頼っていましたが、その確認書自体が偽造されていた可能性が指摘されています。さらにKPMGが2020年に行った特別監査では、TPAの収益性を裏付ける証拠を何も確認できなかったと報告しており、EYの監査の不十分さが浮き彫りになりました。
FTの調査報道 vs ドイツ当局:告発者が罰せられた異常事態
ワイヤーカードの不正を最初に報じたのは英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)ですが、ドイツの金融規制当局BaFinはFTの記者を捜査するという驚くべき対応をとりました。
FTの記者ダン・マクラムは2019年1月から一連の調査報道を開始し、シンガポール支社での不正会計の証拠を次々と公開しました。しかしBaFinはワイヤーカードの不正を調査するのではなく、ワイヤーカードの株価を下げようとする「空売り」を規制し、さらにFTの記者に対して市場操縦の疑いで刑事告発するという行動に出たのです。
この対応は後に「規制の大失態」として国際的に批判を浴びました。ドイツ政府はBaFinの幹部を更迭し、規制体制の抜本的な改革に着手しています。

不正を告発した記者が逆に捜査される――これはマドフ事件でSECが内部告発を無視したのと同じ構造ですよね。権威を疑えない組織は、詐欺師にとって最高の味方になるという教訓です。
事件の全貌:栄華から崩壊までの時系列
ワイヤーカード事件は、外部からの告発にもかかわらず規制当局が動かなかったことで被害が拡大した典型的な事例です。
- 1999年ワイヤーカード設立ミュンヘン近郊のアシュハイムで設立。オンライン決済処理事業を開始し、当初はアダルトサイトやギャンブルサイトの決済を担う。
- 2018年9月DAX30に採用コメルツ銀行に代わりDAX30指数に採用。時価総額240億ユーロ超。ドイツのフィンテックの成功譚として世界的に注目。
- 2019年1月FTが不正疑惑を報道フィナンシャル・タイムズがシンガポール支社の不正会計疑惑を連続報道。ワイヤーカードは全面否定し、BaFinはFT記者を捜査対象にする。
- 2020年2月KPMG特別監査の着手疑惑の払拭を目的にKPMGに特別監査を依頼。しかしKPMGはTPA取引の収益性を裏付ける証拠を確認できなかったと報告。
- 2020年6月18日監査法人が残高確認不能を発表EYが2019年度決算の承認を拒否。フィリピンの銀行2行に預けられているとされた19億ユーロの残高を確認できないと発表。株価は一夜で60%以上暴落。
- 2020年6月23日CEOブラウン逮捕マルクス・ブラウンCEOが辞任後すぐに逮捕。不正会計と市場操縦の疑い。元COOヤン・マルサレクはフィリピン経由で逃亡。
- 2020年6月25日破産申請負債総額約35億ユーロで破産申請。DAX採用企業の破綻はドイツ史上初。投資家は200億ユーロ以上の時価総額を失った。
現代への教訓:フィンテック企業の決算をどう見るか
ワイヤーカード事件が突きつけた最大の教訓は、テクノロジー企業だからといって従来型の不正がなくなるわけではないということです。むしろビジネスモデルの複雑さが、不正の隠れ蓑になりやすいのです。
フィンテック企業の決算を見る際に注意すべきポイントは3つあります。
まず、売上の中身がどこで発生しているか。ワイヤーカードの場合、TPA経由の売上が全体の大きな割合を占めていたにもかかわらず、その実態は不透明でした。「どこの誰が」「何の取引で」売上が発生しているのかが説明されていない場合は注意が必要です。
次に、現金がどこに保管されているか。19億ユーロがフィリピンの銀行にあるという説明を、誰も直接確認に行かなかったという事実は驚くべきことです。海外の聞き慣れない金融機関に資金が集中している場合は、疑問を持つべきでしょう。
最後に、批判に対する企業の反応。ワイヤーカードはFTの報道に対して法的手段で反撃し、空売りの規制まで当局に求めました。不正疑惑に対して「反論」ではなく「攻撃」で応じる企業は、隠したい何かがある可能性があります。
まとめ
- ワイヤーカードは架空のTPA取引で売上を水増しし、フィリピンの銀行に19億ユーロがあると偽ってDAX企業初の破綻に至った
- FTの調査報道にもかかわらず規制当局BaFinは記者を捜査するという逆対応を取り、ドイツの規制体制の欠陥が世界に露呈した
- フィンテック企業の決算を見る際は売上の発生源・現金の保管先・批判への反応の3点をチェックすることが重要だ
よくある質問
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Qワイヤーカードの19億ユーロはどこに消えたのですか?
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A
そもそも19億ユーロは最初から存在しなかった可能性が高いとされています。架空の取引で帳簿上の利益を水増しし、その利益がフィリピンの口座にあると偽っていただけで、実際の資金移動はなかったと考えられています。
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Q逃亡中のヤン・マルサレクはどこにいるのですか?
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A
マルサレクは国際指名手配されていますが、現在も逃亡中です。フィリピンから中国経由でロシアに渡ったとする報道があり、ロシアの情報機関とのつながりが疑われています。逮捕には至っておらず、事件の全容解明にはマルサレクの証言が不可欠とされています。
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Qワイヤーカード事件とエンロン事件の共通点は何ですか?
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A
両事件とも監査法人が不正を見抜けなかった点、規制当局が外部からの警告を無視した点、そして経営陣の権威が疑問視されなかった点が共通しています。エンロンではSPE、ワイヤーカードではTPAという外部組織を使って不正を隠した手法にも構造的な類似性があります。
【出典】参考URL
- ワイヤーカード – Wikipedia:設立経緯、DAX採用、破綻の経緯
- 野村総合研究所 – ワイヤーカード事件解説:TPA取引の仕組み、架空預金の詳細
- Financial Times – Wirecard investigation:FTによる調査報道の全記録


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