- 18世紀のロンドンでジョナサン・ワイルドは泥棒捕り将軍を自称し、盗まれた品物を見つけ出す英雄として市民と政府の信頼を獲得した
- しかし実態は自ら配下の泥棒に盗みを命じ、盗品を被害者に返却して報奨金を受け取るという自作自演だった。逆らう者はライバルとして密告し、60人以上を絞首台に送った
- 1718年に制定されたジョナサン・ワイルド法の名前の由来となった人物であり、1725年にタイバーン刑場で絞首刑に処された
何かが盗まれたら、まずジョナサン・ワイルドの事務所に行け――。1725年の英国ジャーナル紙はそう報じました。しかし実際にはワイルドこそが盗みの黒幕だったのです。自分で盗ませ、自分で見つけ出し、発見の報奨金を受け取る。そして逆らう泥棒は密告して絞首刑に送る。この完璧な自作自演のビジネスモデルは、約15年にわたりロンドンを支配しました。
この記事では、警察組織が存在しなかった時代のロンドンで、犯罪防止の英雄と犯罪組織のボスを同時に演じた史上初の組織犯罪の首領の全貌を解説します。
ワイルドの経歴と犯罪への転落
ジョナサン・ワイルドとは、1682年または1683年にイングランドのウルヴァーハンプトンで生まれた犯罪者であり、18世紀初頭のロンドンの暗黒街で法と犯罪の両面を操った人物です。
10代で結婚し子供もいましたが、21歳頃にロンドンに出て家族を捨てました。1710年に借金が原因で債務者監獄に収監されますが、この監獄生活で犯罪の手口と犯罪者の人脈を徹底的に学んでいます。
出所後は盗品の売買を仲介するフェンス(盗品故買商)として活動を開始。やがてロンドンの犯罪者ネットワークの中で頭角を現していきました。
自作自演のビジネスモデル
ワイルドの手口は驚くほどシンプルかつ巧妙でした。自ら泥棒を雇って盗みを行わせ、その盗品を被害者に返却して報奨金を得るというものです。
当時のロンドンには組織的な警察が存在せず、犯罪者を捕まえる役割は泥棒捕り(thief-taker)と呼ばれる民間の賞金稼ぎが担っていました。政府は犯罪者の逮捕・有罪に対して40ポンド(現在の約15万ポンド相当)の報奨金を支払っており、この制度がワイルドのビジネスの土台となります。
ワイルドはロンドンを地区ごとに分割し、それぞれに専門の泥棒チームを配置しました。教会での窃盗、宮廷での掏摸、街道での強盗など、各チームは専門分野を持っていたのです。盗まれた品物はワイルドの遺失物事務所に集められ、被害者がやってくると報奨金と引き換えに返却されました。
ワイルドのシステムが絶妙だったのは、自分は決して盗品を直接売買しなかったという点です。あくまでも発見して返却するという体裁を保ち、法律上の盗品故買の罪を回避していました。一方で、配下の泥棒がワイルドに盗品を渡さなければ、その泥棒をライバルとして当局に密告し、60人以上の犯罪者を絞首台に送ったとされています。

ワイルドの手口は、現代でいえばセキュリティ会社がハッカーを雇い、自ら攻撃を仕掛けてから防御サービスを売り込むようなものです。問題を作り出し、自分でそれを解決して報酬を得る。この自作自演の構造は300年後の今も形を変えて存在しています。サイバーセキュリティ、害虫駆除、コンサルティングなど、問題の発生源と解決者が同一であることのリスクは常に意識すべきです。
絶頂と没落
1718年頃、ワイルドは自らをグレートブリテンおよびアイルランドの泥棒捕り将軍と名乗るまでに権勢を誇っていました。
新聞はワイルドの活躍を英雄的に報じ、市民は彼を犯罪防止の守護者として信頼しました。政府ですらワイルドに犯罪対策の助言を求めるほどでした。ワイルド自身も新聞社に自分の武勇伝を持ち込み、広報活動を積極的に行っています。1724年夏にはカリック・ギャングのメンバー21人を一網打尽にし、800ポンドの報奨金を手にしています。
しかし1718年、イギリス議会は盗品を返却して報奨金を受け取りながら泥棒を逮捕しない行為を死刑とする法律を制定しました。この法律はジョナサン・ワイルド法と呼ばれ、明らかにワイルドを狙ったものでした。皮肉なことに、この法律は当初ワイルドの立場をかえって強化しました。泥棒たちがワイルド以外に盗品を売ることがさらに困難になったからです。
転落のきっかけは1725年1月の些細な事件でした。ワイルドが知人2人に盲目のレース職人の店を襲うよう唆し、盗品のレースが発覚したのです。逮捕されたワイルドは軽罪で起訴されましたが、約15年にわたる犯罪帝国の証拠が次々と明らかになりました。
1725年5月24日、ワイルドはタイバーン刑場で絞首刑に処されました。処刑前夜にはアヘンチンキで自殺を図りましたが未遂に終わっています。処刑時、群衆はかつて英雄視したワイルドに石を投げ、人間性を汚した最も完成された悪党と罵ったと記録されています。
まとめ
- ワイルドは泥棒を雇って盗ませ、自ら盗品を返却して報奨金を得るという自作自演のビジネスモデルで約15年間ロンドンを支配した
- 逆らう泥棒は密告して60人以上を絞首台に送り、犯罪防止の英雄と犯罪帝国のボスを同時に演じ続けた
- 問題を作り出し、自分でそれを解決して報酬を得る自作自演の構造は、300年経った現代でも形を変えて存在する。解決者が問題の発生源である可能性は常に疑うべきだ
よくある質問
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Q泥棒捕り(thief-taker)とは何ですか?
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A
18世紀のイギリスで、正式な警察組織が存在しなかった時代に、犯罪者を捕まえて報奨金を受け取る民間の賞金稼ぎです。政府が犯罪者の逮捕・有罪に対して支払う報奨金が収入源でしたが、ワイルドのように犯罪者と結託して不正に利益を得る者も多く、制度は深刻な腐敗を招きました。この反省から、1829年にロバート・ピールがロンドン警視庁(メトロポリタン・ポリス)を創設しています。
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Qワイルドを題材にした作品はありますか?
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A
多数の作品に影響を与えています。ヘンリー・フィールディングの小説The Life of Mr Jonathan Wild the Great(1743年)、ジョン・ゲイのオペラThe Beggar’s Opera(乞食オペラ、1728年)のキャラクターのモデルとされています。また2014年にはアーロン・スカーボールがThe Thief-Taker Hangingsを出版し、ダニエル・デフォー、ワイルド、脱獄王ジャック・シェパードの物語を描いています。
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Q現代にもワイルドのような自作自演はありますか?
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A
構造的に類似した事例は現代でも報告されています。セキュリティ会社の従業員が脆弱性を意図的に作り出してサービスを売り込むケース、消防士が自ら放火して消火活動で英雄となるケース、ITコンサルタントが問題を埋め込んで修正契約を獲得するケースなどがあります。問題を解決する側が、その問題から最も利益を得ている場合は注意が必要です。
【出典】参考URL
- Wikipedia:Jonathan Wild:経歴、犯罪手法、逮捕と処刑の詳細
- Britannica:ワイルドの伝記と犯罪帝国の概要
- History Today:泥棒捕り将軍の処刑
- The 1440 Review:ワイルドの犯罪帝国の分析


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