山一証券の自主廃業とは?2600億円の簿外債務と社長の涙

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山一証券の自主廃業とは?2600億円の簿外債務と社長の涙を3行で要約
  • 日本四大証券の一角・山一証券が「飛ばし」で約2600億円の損失を簿外に隠蔽し続けていた
  • 1997年11月に自主廃業を決定。7,500人の社員が失業する戦後最大の証券会社破綻となった
  • 野澤社長が「社員は悪くありませんから」と涙ながらに語った記者会見は、日本経済の転換点を象徴する場面として語り継がれている

「私らが悪いのであって、社員は悪くありません。どうか関連会社も含めて社員の再就職にご理解をいただきたい」。

1997年11月24日、山一証券の野澤正平社長は東京証券取引所で行われた記者会見で涙を流しました。日本四大証券の一角が消滅する瞬間でした。

山一証券とは

山一証券とは、1897年に創業した日本の大手証券会社で、野村證券、大和証券、日興証券と並ぶ「四大証券」の一つでした。従業員約7,500人、全国に約100の支店を持つ、誰もが知る大手金融機関でした。

「飛ばし」とは何か

山一証券を崩壊させた「飛ばし」とは、含み損を抱えた有価証券を関連会社や取引先に一時的に移し、自社の決算から損失を除外する手法です。

  1. 顧客から預かった資産の運用で損失が発生
  2. 損失を抱えた有価証券を関連会社やペーパーカンパニーに売却(形式上は売却だが、買い戻し約束付き)
  3. 自社の決算上は損失が消え、「利益が出ている」ように見える
  4. 翌期に買い戻し、また別の会社に移す…を繰り返す

この「飛ばし」を何年にもわたって繰り返した結果、山一証券の簿外に積み上がった損失は約2,600億円に膨らんでいました。

「飛ばし」はエンロンのSPE(特別目的会社)を使った損失隠蔽と本質的に同じ構造。「決算書に載らない場所に損失を隠す」という手口は、洋の東西を問わず繰り返されている。

崩壊までの道

山一証券崩壊の時系列
  • 1990〜91年
    バブル崩壊・巨額損失の発生
    バブル崩壊で株価が暴落。顧客への損失補填と自社の運用損失で数千億円の含み損が発生。「飛ばし」による損失隠蔽が本格化。
  • 1991〜97年
    「飛ばし」の常態化
    海外の関連会社やペーパーカンパニーに損失有価証券を移し続ける。簿外債務は約2,600億円に膨張。経営陣は問題を先送りし続ける。
  • 1997年11月
    自主廃業の決定
    金融危機の中で資金繰りが行き詰まり、大蔵省に報告。簿外債務の存在が確認され、自主廃業を決定。野澤社長が涙の記者会見。
  • 1999年
    清算完了
    約7,500人の社員が失業。元経営幹部は粉飾決算で刑事告発。100年の歴史を持つ証券会社が消滅。
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賠償罪子

7,500人の社員は「飛ばし」の存在を知らないまま働いていました。野澤社長自身も就任後に簿外債務の存在を知ったとされています。組織の上層部が問題を先送りし続けた結果、全社員がその代償を払う。山一証券は「経営者の不作為の罪」を教えてくれる事件です。

まとめ

  • 山一証券は「飛ばし」で約2,600億円の損失を簿外に隠蔽し続けた
  • 1997年に自主廃業。7,500人の社員が失業する戦後最大の証券会社破綻となった
  • 問題の先送りは問題を消すのではなく、最終的な破壊力を増幅させるだけ。経営者の「見て見ぬふり」が最大のリスク要因だ

よくある質問

Q
山一証券に預けていた資産はどうなりましたか?
A

顧客の預かり資産は投資者保護基金等により保護され、他の証券会社への口座移管が行われました。ただし、山一証券が運用を約束していた「にぎり」と呼ばれる利回り保証の投資については全額保護されなかったケースもあります。

【出典】参考URL

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