キャシー・チャドウィックとは?カーネギーの隠し子を騙った詐欺師

詐欺事件
キャシー・チャドウィックとは?カーネギーの隠し子を騙った詐欺師を3行で要約
  • カナダ出身の詐欺師が鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの隠し子を名乗り、偽の約束手形を担保にクリーブランドの銀行から200万ドル以上を詐取した
  • カーネギーの死後に4億ドルの遺産を相続すると銀行家に信じ込ませ、8年間にわたり高利の融資を引き出し続けた
  • 1905年に有罪判決を受け禁固14年。銀行1行を破綻させ、カーネギー本人が被害者を救済するという皮肉な結末を迎えた

世界一の大富豪の隠し子が、罪悪感に苛まれる父親から莫大な財産を受け取っている。その額は700万ドルの約束手形、さらに死後には4億ドルの遺産が転がり込む――。こんな話を信じた銀行家たちが、我先にと融資を申し出ました。

キャシー・チャドウィックは、19世紀末から20世紀初頭のアメリカで、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの隠し子を装い、偽の約束手形を担保に銀行から200万ドル(現在の価値で約72億円)以上を騙し取った女性詐欺師です。当時のアメリカで女性には投票権すら認められていなかった時代に、銀行を破綻させるほどの大規模詐欺を成し遂げた人物として歴史に名を残しています。

チャドウィックの経歴

キャシー・チャドウィックとは、10代から詐欺を繰り返してきた筋金入りの犯罪者であり、本名はエリザベス・ビグリーといいます。

1857年10月10日、カナダ・オンタリオ州のアピンで、鉄道作業員の家庭に生まれました。10代の頃から偽造文書を使った詐欺を始めており、22歳でオンタリオ州の文書偽造で逮捕されましたが、精神異常を理由に無罪放免となっています。

その後クリーブランドに移り、複数の偽名を使い分けながら詐欺や占い師としての活動を続けました。1889年にはトレドで文書偽造の罪で9年半の懲役刑を受けていますが、当時の知事ウィリアム・マッキンリー(後の大統領)により4年で仮釈放されました。

1897年、クリーブランドの裕福な医師レロイ・チャドウィック博士と結婚。チャドウィック家はユークリッド・アベニューのミリオネアズ・ロウ(富豪通り)に邸宅を構えており、この結婚によりキャシーは上流社会への足がかりを得ました。

カーネギー詐欺の手口

チャドウィックの最大の詐欺は、カーネギーの邸宅への訪問を演出し、銀行家に隠し子であると信じ込ませるという巧妙な仕掛けでした。

ニューヨークの高級ホテルのロビーで、オハイオの銀行家ディロンに紹介されたチャドウィックは、彼をカーネギーの5番街の邸宅まで馬車で連れて行きました。チャドウィックは約20分間邸宅の中にいましたが、実際には家政婦と会っていただけでした。

馬車に戻ったチャドウィックは、カーネギーの署名が入った200万ドルの信託証書をディロンにちらりと見せました。もちろん偽造品です。そして秘密を守ると約束させた上で、自分はカーネギーの隠し子であり、罪悪感から莫大な金を与えられていると打ち明けたのです。

さらに、自宅には700万ドルの約束手形が保管されており、カーネギーの死後には4億ドルを相続する予定だと語りました。ディロンは銀行の貸金庫に信託証書を預け入れる手配をしましたが、封筒を開けていれば偽造だとすぐに分かったはずです。

チャドウィックの詐欺が成立した理由の一つは、カーネギーの隠し子について本人に確認する銀行家がいなかったことです。大富豪に隠し子のことを尋ねれば恥をかかせることになる、という紳士的な配慮が、8年間にわたり詐欺の発覚を防いだのです。
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この事件で最も恐ろしいのは、確認すれば一瞬で分かる嘘が8年間も通用したことです。封筒を開ければ偽造だと分かる。カーネギーに聞けば知らないと言われる。しかし誰もそうしなかった。相手に恥をかかせたくないという礼儀、そして高利の融資で儲けたいという欲望が、確認という当たり前の行為を封じたのです。

発覚と崩壊

チャドウィックの詐欺は、ボストンの銀行家が返済を求めたことで崩壊しました。

1904年11月、ボストンの銀行家ハーバート・ニュートンが19万800ドルの融資の返済を要求しました。チャドウィックが返済できなかったため訴訟を起こすと、各銀行が保有していた担保の約束手形が全て偽造だったことが判明したのです。

カーネギーはスポークスマンを通じて声明を発表し、チャドウィックという女性を知らない、30年以上約束手形に署名していないと全面的に否定しました。チャドウィックはニューヨークに逃走しましたが、ホテルで逮捕されています。逮捕時、ベッドの中で10万ドル入りのマネーベルトを着けていました。

1905年3月、クリーブランドの裁判所はチャドウィックに禁固14年と7万ドルの罰金を言い渡しました。オハイオ州オバーリンのシティズンズ・ナショナル銀行は20万ドルの融資が焦げ付いて破綻に追い込まれています。皮肉なことに、カーネギー本人が被害を受けたオバーリンの市民と大学に寄付を行い、損失を補填する事態となりました。チャドウィックは獄中で健康を崩し、1907年10月10日、48歳の誕生日に死去しています。

現代に通じる教訓

チャドウィックの事件は、有名人の名前を利用した権威詐欺の原型として、現代にも重要な教訓を提供しています。

現代でも、有名企業の社長の知り合い、著名投資家のファミリーオフィスの関係者などと称して投資話を持ちかける詐欺は後を絶ちません。チャドウィックの手口と同様に、著名人に確認を取ることをためらわせる心理が利用されています。

重要なのは、誰の名前が出ようとも、金銭が絡む話では必ず直接確認を取ることです。大富豪に恥をかかせるかもしれないという遠慮は、自分の資産を守ることよりも優先すべきではありません。

まとめ

  • チャドウィックはカーネギーの隠し子を詐称し偽の約束手形を担保に、8年間で200万ドル以上を銀行から騙し取った
  • 確認すれば一瞬で分かる嘘が通用した理由は、大富豪に恥をかかせたくないという礼儀と、高利融資への欲望だった
  • 有名人の名前を利用した権威詐欺は現代も健在。金銭が絡む話では必ず直接確認を取ることが最大の防御だ

よくある質問

Q
夫のチャドウィック博士は詐欺を知っていましたか?
A

知らなかったとされています。事件が発覚すると、レロイ・チャドウィック博士は急いで離婚手続きを行い、成人した娘と共にヨーロッパ旅行に出発してクリーブランドを離れました。彼自身も妻の詐欺により経済的な破綻に直面したと報じられています。

Q
なぜ銀行は偽造を見抜けなかったのですか?
A

複数の要因が重なりました。第一に、信託証書は封筒に入れられたまま貸金庫に保管され、開封されませんでした。第二に、高利の融資は銀行にとって魅力的であり、カーネギーが死亡すれば莫大な遺産で返済されると期待していました。第三に、カーネギーの隠し子について本人に確認すること自体が失礼だと考えられていたのです。

Q
カーネギーはこの事件にどう対応しましたか?
A

カーネギーはチャドウィックを知らないと明確に否定しました。さらに、詐欺によって破綻したシティズンズ・ナショナル銀行の被害者であるオバーリンの市民に寄付を行い、損失を補填しています。また、オバーリン大学にカーネギー図書館を寄贈しており、この建物は現在も残っています。カーネギー自身が裁判に出席し、自分の名を騙った女性を見てみたいと語ったとされています。

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