ジェームズ・ホーグとは?プリンストン大に潜り込んだ詐欺師

詐欺事件
ジェームズ・ホーグとは?プリンストン大に潜り込んだ詐欺師を3行で要約
  • 29歳の大学中退者が自称孤児のアレクシ・インドリス=サンタナと名乗り、プリンストン大学に不正入学。2年間にわたり陸上部員として在籍した
  • 奨学金2万2000ドルを騙し取り、名門クラブにも入会。元同級生に見破られるまで誰も正体に気づかなかった
  • プリンストン以前にも高校生になりすまし、以後もハーバードで窃盗を行うなど生涯にわたりなりすましと窃盗を繰り返した連続犯だ

グランドキャニオンで羊を育てながら哲学書を読んで育った独学の孤児。そんな魅力的な経歴を持つ青年がプリンストン大学に入学し、陸上部で活躍し、名門クラブに迎え入れられました。しかし、その全てが作り話だったのです。

ジェームズ・ホーグは、偽の経歴でアメリカの名門大学に潜り込んだ連続なりすまし犯です。プリンストンだけでなく、その前後にも高校、ハーバード大学と、学術機関への侵入を繰り返しました。彼の事件は2003年にHBOのドキュメンタリーCon Manとして映像化されています。

ホーグの経歴と最初のなりすまし

ジェームズ・ホーグとは、優秀な長距離走者でありながら正規のルートでは満足できず、なりすましに走った人物です。

1959年10月22日、カンザス州カンザスシティの労働者階級の家庭に生まれました。高校時代は2マイル走の州チャンピオンとなるほどの陸上の才能を持ち、ワイオミング大学に陸上奨学金で入学しています。しかしケニア人ランナーに敵わないと悟り、2年で退学しました。

最初のなりすましは1985年、25歳の時です。亡くなった幼児の身分を盗み、ジェイ・ミッチェル・ハンツマンという名でカリフォルニア州パロアルト高校に16歳の孤児として入学しました。スタンフォード招待クロスカントリー大会に出場し、圧倒的な差で優勝しましたが、表彰式に現れなかったことで不審に思われ、記者の調査で正体が暴露されています。

プリンストン大学への不正入学

1987年、ホーグはプリンストン大学にアレクシ・インドリス=サンタナという名で出願しました。

出願書類には、グランドキャニオンの近くで独学で育った孤児で、野外生活をしながら哲学者の著作を読んで育ったという架空の経歴が記されていました。1年間の入学延期を申請し、スイスにいる病気の母親の看病のためと説明しましたが、実際はユタ州刑務所で盗品所持の罪で服役していたのです。

1989年に仮釈放されると、仮釈放の条件に違反してすぐにプリンストンへ向かいました。以後2年間、陸上部の選手として活躍し、プリンストン最高の名門社交クラブの一つであるアイビー・クラブにも入会しています。陸上部の仲間からも人気があり、単に良いランナーだっただけでなく、チームの中で非常に人気のあるメンバーだったと証言されています。

しかし1991年2月26日、パロアルト高校時代の元同級生が彼を認識し、記者に通報。授業中に逮捕されました。文書偽造、窃盗、記録改ざんの罪で起訴され、奨学金2万2000ドル以上を騙し取った窃盗の罪で有罪となり、9ヶ月の懲役刑を受けています。

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ホーグの事件は、名門大学の入学審査システムの脆弱性を露呈させました。グランドキャニオンで羊を育てた孤児という経歴を、プリンストンは魅力的なストーリーとして受け入れてしまったのです。

現代の日本でも学歴詐称は後を絶ちません。採用時の経歴確認は形式的になりがちですが、ホーグの事件は、どれだけ魅力的なストーリーでも裏付けを取ることの重要性を教えています。

止まらないなりすまし

ホーグはプリンストン事件後も、なりすましと窃盗を生涯にわたり繰り返しました

1992年にはハーバード大学鉱物学博物館にパートタイムの目録係として雇われましたが、宝石や鉱物の標本を盗み出し、ハーバード大学警察史上最大級の窃盗事件を引き起こしています。仮釈放条件に違反してプリンストンのキャンパスに戻り、ジム・マクオーサーという別の偽名で社交活動に参加していたことも発覚しました。

2016年にはコロラド州アスペンの山中にカモフラージュされた違法な小屋を建てて生活しているところを発見され、スキー用品や工具の窃盗で禁固6年の判決を受けています。

まとめ

  • ホーグは架空の孤児の経歴でプリンストン大学に不正入学し、2年間陸上部で活躍しながら奨学金2万2000ドルを詐取した
  • 高校、プリンストン、ハーバードと学術機関へのなりすましを繰り返す強迫的な行動パターンを持ち、窃盗癖も生涯治らなかった
  • 魅力的な経歴ストーリーでも裏付け確認を怠ってはならない。入学審査や採用選考では、書類の真正性を検証する仕組みが不可欠だ

よくある質問

Q
ホーグはプリンストンで学業もこなしていましたか?
A

2年間在籍し授業にも出席していたことが確認されています。教授の一人は彼に同情的な声明を出しており、ある程度の学業成績を残していたと推測されます。ただし、テキサス大学時代に化学工学を専攻した経験があるため、大学レベルの学業自体が困難だったわけではありません。

Q
なぜ29歳が大学生として通用したのですか?
A

ホーグは外見が実年齢より若く見えたことに加え、自称孤児として独学で育ったという設定が年齢のギャップを説明していました。また、アメリカの大学では社会人入学や編入も一般的であるため、年齢差が目立ちにくい環境だったことも一因です。

Q
ホーグの事件は映画化されていますか?
A

2003年に映画監督ジェシー・モスによるドキュメンタリー映画Con Manが制作されています。モス監督はホーグがジェイ・ハンツマンと名乗って通っていたパロアルト高校の在校生だった人物で、ホーグ本人へのインタビューも含む作品です。

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