動機について『2人に笑われたと思った』などと供述。しかし、面識がなかったとみられる2人を殺傷した理由としては不可解な部分があった。
- 北九州中学生2人殺傷事件、容疑者は「心神耗弱」で起訴へ
- 精神疾患(妄想)影響も、善悪の判断能力は喪失せず
- 動機は「2人に笑われたと思った」と供述、不可解な点残る

殺人は「心神耗弱」では許されないと思う
Xの反応
「そう弁明したらええか。謎の不起訴もええなぁ。」
— テクリス (@teclis0734) September 16, 2025
こんな輩が増えそうで怖いです。
マジでこんなんで減刑とかアホなん?
— ジョー (@janjan3412) September 16, 2025
何の落ち度も無いのに中学生にして命を奪われた被害者より逃走まで図った明らかな悪意ある加害者を大事に思ってんのか?
もはや治安を悪くしたいから加害者を擁護してるとしか思えんわ
車の運転出来たのに?
— 梅千代 (@takechiyodog) September 17, 2025
しかも自宅まで近いとはいえ無事故で帰宅してますよね?
「心神喪失者は無罪」←まだ分かる
— Armon (@ZEYsaid) September 17, 2025
「心神耗弱者は減刑」←言いたいことは分かる
なんでそのまま世に放つのかが理解できん。
人を殺すかもしれない程の心神耗弱者なら百歩譲って隔離せやあかんやろ。
刑法
— üë (@borealeye) September 16, 2025
第三十九条
1 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
小倉地検は有罪にできると判断した。というニュースなのに、まるっきり反対の意味に勘違いしている人が、そこそこいるのが不思議。

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勝手に考察
この痛ましい事件の背景には、精神疾患、特に「妄想」の症状が深く関与していると報じられていますね。容疑者が「2人に笑われたと思った」と供述している点、これ自体が、現実とは異なる認識に基づく妄想の表れではないかと推察します。面識のない中学生を突如襲うという不可解な行動は、通常の論理では説明ができませんから。
捜査機関が2度にわたる鑑定留置を実施した背景にも注目すべきです。一度目の鑑定では責任能力を問えると判断されながらも、精神疾患が事件に与えた影響の説明が不十分だったため、再度詳細な鑑定が行われた。これは、単に「病気だから」と片付けられない、事件の複雑性と、裁判員裁判を視野に入れた慎重な司法判断の姿勢を示していると言えるでしょう。
また、事件後に逃走したり自宅に引きこもったりするなどの行動は、善悪の判断能力が完全に失われていたわけではない、つまり「心神耗弱」状態であったことの裏付けとも考えられます。自身の行為が法的に問題であるという認識があったからこそ、逃避行動に出たのではないでしょうか。精神疾患が引き起こす社会との乖離、そしてそれによって生じる悲劇の連鎖を断ち切るには、社会全体でこの問題にどう向き合うか、真剣に考える必要があります。

精神疾患が招いた悲劇の連鎖、社会全体で向き合うべき課題です。
FAQ
- Q「心神耗弱」という判断は、今後の裁判にどのような影響を与えますか?
- A
心神耗弱は、善悪の判断能力が著しく低下していた状態とされ、責任能力が限定的とみなされます。これにより、裁判では刑が減軽される可能性がありますが、完全に無罪となる「心神喪失」とは異なり、罪に問われることになります。
- Q容疑者の「2人に笑われたと思った」という動機は、なぜ「不可解」とされているのでしょうか?
- A
容疑者と被害者に面識がなかったとみられ、突然の暴力に至る理由として一般的に理解しがたいため、「不可解」とされています。これが精神疾患による「妄想」症状の結果である可能性が指摘されており、通常の論理では説明できない部分があるためです。
- Q一度目の鑑定留置で「刑事責任能力を問える」とされた判断が、二度目で覆ったのはなぜですか?
- A
一度目の報告書では精神疾患の言及はあったものの、それが事件に与えた影響についての説明が不十分でした。裁判員裁判で責任能力の程度が争点になることが予想されたため、地検は別の医師による精神鑑定で内容を補充する必要があると判断し、二度目の鑑定留置が実施されました。これは、より詳細かつ慎重な判断を求める司法の姿勢を示しています。
編集者の感想
ああ、本当に、こんなに痛ましい事件が起きるたびに、胸が締め付けられる思いがします。何の罪もない中学生が命を奪われ、もう一人の未来が傷つけられた。その背景に「心神耗弱」という言葉が提示されたとき、なんとも言えない複雑な感情が湧き上がってきます。
もちろん、精神疾患が原因であったとしても、被害者の尊い命が戻ることはありませんし、残されたご家族の深い悲しみは決して癒えることはないでしょう。私たちが考えなければならないのは、なぜこのような悲劇が起こってしまったのか、そして二度と同じ過ちを繰り返さないために、社会として何ができるのか、ということだと思うのです。
容疑者の「2人に笑われたと思った」という供述。これが本当に妄想から来るものだったとしたら、彼はどんな世界を見ていたのでしょうか。孤立や社会からの疎外感が、彼の心を蝕んでいったのかもしれません。私たち編集長世代は、バブルが弾けて「失われた10年」なんて言われた時代を生きてきましたが、今、心の問題が社会に与える影響は、当時とはまた違った形で、いや、もしかしたらもっと根深く広がりを見せているんじゃないかと思うんです。このような事件から目を背けず、個人の問題として切り捨てるのではなく、社会全体で包摂的な支援のあり方を考えていくべきだと強く感じます。本当に、心からそう願っています。

心神耗弱の判断と不可解な動機。事件の深層に社会全体で向き合いましょう。
それでも犯人を許せない気持ちは強い。
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